8.傷跡 3話







 
8.傷跡






「喘さん大丈夫かい?」

「畔さんっ!!」

 香蘭を迎えに行く途中に出会った女性を見て一番に思ったのは自分1人じゃないという安堵の気持ち。

「香蘭ちゃんに、芳准さんじゃ頼りないって言われてね」

 そう言われ、やはり自分には何もできないのでは…と再認識してしまう。

「なによりほっとけないだろ!そんなことよりどんな感じ?」

 せめて自分に出来ることは、と端が香蘭に話したことを苦しんでいる端の変わりに答える。

「ということは、初産だから産むのはまだ時間がかかるね。大丈夫だよ端さん、元気な赤ちゃんのためにも頑張ろうね」

 わずかに微笑みうなずく。

 脂汗の浮かんだ顔でまだ時間がかかるといわれてもなお、笑顔を見せることが出来るこの力は一体どこにあるというのだろうか。

「みんな経験して乗り越えてきてんだよ。大丈夫」

 力強い笑顔でそう言う畔は初めての出産に不安な妊婦の表情が和らぐ。

 大丈夫。

 いつからかそんな言葉など忘れていた気がする。

「芳准、あんたしっかりと支えるんだよ!」

「あ、はいっ!」

 もやもやと渦巻く思考を取り払うかのように回された腕をしっかりと抱きとめ全身に力を入れる。

 まだ完治していない足が痛んだが、今はそれよりも端さんと赤ちゃんの方が重要だ。

 一刻も早く王さんの元へと行かなければならない。







 王さんの家へつくと既に出産の準備がされており、きれいに整えられた寝台へ妊婦を静かに横に寝かせる。

 芳准は背負っていた大きな荷物を降ろしたかのように大きくホッと一息つく。

「状況は?」

「もういつでも産まれてもおかしくないかもしれないね」

 周りは今からが正念場でホッとするのは場違いなのは分っているがそうせずにはいられなかった。

 決して遠くはない道のり、随分と長く感じた。

 心配ではあるが、やっと開放されると思いのほうが強かった。

 男なのだから出産経験がないのは当然なのだが、痛みに足を止めるたびどうしていいのかオドオドしてしまう自分が情けなかった。

 頑張って、と声をかけることしか出来ない。

 ただ前へと体を支えて促すことしか出来ない。

 回された肩を捕まれたそれは女性の力とは思えぬほどの力で驚く芳准に畔は冷静なものだった。

「掴ませてやりな、本当に今大変なのは母親と赤ちゃんだからね」





 今何も出来ない自分がここにいるべきではないと判断した芳准は湯を炊いている女性陣の手伝いをしようとそろりとその場を離れようとする。

 しかしその手を捕まれた。

 見ると掴んだのはいきもうとしている端だった。

 さすがに振り払うことも出来ずにつかまれるままにする。

「・・・・・・ッ!」

 何か声をかけようとするが、必死の表情に息を飲む。

 自分もこうやって産まれて来たのだろうか。

 こんな風に母親から産まれて来たのだろうか。

「頑張って・・・・・・・・」

 震える小さな声で届いたかどうかは分らないが、ただ今の自分に出来ることは果たしたい。

「・・・・・ぅ・さん・・・・」

 端の様子に目を回しかけたとき、今の状況を思い出す。

 若い男はこの村にはいない。

 当然今こうやって必死に頑張っている端の旦那であり赤ちゃんの父親も「生」とは反対の「戦場」という場所にいる。

 きっと無事に産まれて会えると信じて。

 ぎゅっと掴む手は今は近くにいない旦那の変わり。

 それで無事に赤ちゃんが産まれるのなら。

 こんな自分でもいいなら変わりになるから。

 心の底から想い、手を握り返す。











 しばらくしておぎゃーと泣き声が聞こえた。

 産まれた・・・

「よく頑張ったな、男の子だ」

 目を潤ませながらいとおしそうに始めてみる我が子を抱く姿は母親そのもの。

 よかった・・・

 そう思うと同時にその場に座り込んでしまった。

「・・・・・?・・だ・・・」

 立てろうと足に力を入れようとするが何故か力が入らない。

 自分の子でも、ましてや自分が産んだわけでもないのに。

 自分と一緒にいた、いや自分よりも大変な思いをして我が子と出会った端はすでに立派な母親の顔をしている。

 安堵と共に端に比べて自分の情けなさに笑みがこぼれた。











「お疲れ、芳准」

 少し無茶をした治りきっていない足の手当てを香蘭にしてもらい、そう言われた。

 何故その言葉が自分に向けられるか分らない。

 その言葉は新しい親子と王さん、そして王さんの補助をした香蘭たちが受け取るはずのものだ。

「ずっと端さんの手を握ってくれてたでしょ」

 そういわれて合点がいくが、手を握るだけなら誰でも出来るはずだ。

「女の人ってね、誰かが側にいてくれるだけで、安心するものなんだよ」

「・・・そういうものなのだ?」

「そうだよ。芳准もこうやってぎゅっと手を握ってたら安心しない?」

 芳准の手を握りしめる。

 目を閉じると思い出すのは懐かしい記憶と苦い記憶。

 一緒に3人で手をつないで遊んだあのとき。

 「愛している」と言って微笑んでくれた。けれど「一緒になれない」と振り払われた横顔。

 そして「助けてくれ」といっていた最期の顔。

「・・・こんな俺でも、少しは何か出来たのだろうか・・・」

 手を離しさえしなければ、失うこともなかった。

 離したくなかった。

 けれど掴んだ手はまるで水でも掴んだかのように逃げていった。

「俺でも・・・」

 何か出来るのだろうか。

 大切なものを守れなかった。

 与えられたチカラは、使うことはできない。

 チカラがなくても、

「できることはあるんだろうか・・・」

 何言ってるの?とばかりに目を丸くする香蘭。

「当たり前じゃない!端さん、芳准に感謝してたよ!!芳准だって私だって、どんな人でも何か始めれば何でも出来るんだよ!!」

 ずっと分ってはいた。

 生を選ぶでもなく、死を選ぶでもなく、中途半端な自分。

 何かを変えたくても最初の1歩がとても重くて、いつも逃げていた。

 生まれる前から知らずに背負わされていたものは重荷でしかなく、背負うことすらできていなかった。

 でも今なら、変えられるかもしれない。

 まだあの洪水のことは忘れられないけど、1人の人間として誰かに接することはできるのだから。

「頼みがあるのだ」

「何?」

「・・・俺は、何もできないかもしれないけど・・・王さんや香蘭の手伝いをさせてほしいのだ」

 言葉とは裏腹に迷いのないまっすぐな目。

「当ったり前じゃない!! 芳准、居候してるんだからいくら手伝ってもらっても足りないくらいよ!」

 芳准に背を向けた香蘭の目じりにはうっすらと涙が滲んでいた。

「覚悟しておくのだ・・・」










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実は、出産ネタ使いたくなかったんです・・・

でも「裏切り」「別れ」「死」「孤独」を体験した芳准が前向きに立ち直るには

「人のぬくもり」「自分にもできるという自信」そして何より「生」を感じることが必要だと思ったんです。

なので、出産に立ち会うということにしました。

私も娘が生まれてからは、

ケーキ、プレゼント、1個歳を取る(これに関しては年々顔を背けてます・・・)

から、

産まれた日から○年、「この子が生まれたときは・・・こんなことがあった」に変わりましたからね。

いい経験になるんでないでしょうか、芳准にとっても。


・・・・・そういえば、この時の芳准と私が親になった歳が同じ・・・(ボソッ)

2007.08.01