あの時、雨に打たれ自分の中にとんでもない凶器が眠っていることを知った。
怒りと悲しみとが体の中でグルグルと周り、自分でも抑えきれない感情がどろりと流れ出してきた。
比例するかのように雨も風もどんどん強くなった。まるで負の感情が嵐を呼んで来たかのように。
生活の糧で村の主流となっている川の水位はどんどん高くなる。
しかしそれにすら気づかずに、親友を呼び出した。
ーーー何故、裏切った。
そう、問い詰めた。
あの時とまではいかないが一昨日も随分天気が荒れていた。
彼女の心の中もきっと、天と同じようなものだったのだろう。
思えば、彼女は巫女とはいえまだまだ少女といえる年齢。ずっと知らずに気を張っていたのだろう。
知らない世界で1人、国を守るという重要な使命。
それは自分の国である自分たちにとっても重い使命で、他国どころか異世界に住む彼女からすればなおのことだろう。
敵となってしまった唯という親友。
そしてこの異世界からずっと兄のように慕っていた鬼宿の裏切りともいえる行為。
彼女が心が折れてしまうには十分だった。
けれど彼女を大切に思う仲間たちの暖かい手に守られた。
しかし運命は残酷で、青龍七星士に操られた鬼宿は巫女を葬るために紅南へやってきた。
彼らの頬を伝うのは降りしきる雨なのか、それとも涙なのかは分からない。それでも与えられた使命を全うするため2人は剣を向けた。
彼を操った蠱毒という呪術の存在は知っていた。
しかし術を解くのはかけるよりも困難で、何よりも心に関することは無理やりに解呪できるものではない。
下手をすればそれまでの記憶すらなくなる可能性があるからだ。
そして呪術は専門外で術を扱うものとして学んだ程度だ。蠱毒という呪術も聞きかじったことがある程度にしか学んでいない。
どんなに覚え知った術や知識をひっくり返しても、今出来るのは何も出来ず真剣な男と男の戦いを見守ること。
巫女を、大切な彼女を護りきるという彼の思いが伝わってくる。
「どちらかが倒されるまで…もう誰にも止められないのよ」
そう。どちらかが倒れるまで。
もし止められるとしたら、当事者である彼女だけ。
雨音が随分うるさい。
体は冷えているはずなのに温かい。
もしここでどちらかを失うことは朱雀を呼び出せなせなくなる。いやそれ以前に彼女も七星士たちも、仲間を失うなんてしたくない。
けれど手出し無用と彼の心からの訴えに今はただ見守るだけ。
乗り越えたと思っていた過去がよみがえる。
まるで心を映したかのようないつまでも続く大雨。
「だめええぇぇぇ!!!!!」
一筋の光となったのは彼女の悲痛な叫び声。
雨に足を取られた星宿に止めとばかりに大きく剣を振り上げた鬼宿は一瞬ためらった。
彼女、美朱からの悲痛の叫び声が耳に届いたかのように。
「鬼宿。やだ……やだよ!!目を開けて!!」
これ以上に怖いことなど他にないだろう。
目の前で最愛の人が倒れたのだから。
「死んじゃやだよ!!鬼宿ーーーっ!!」
「朱…雀…の巫女……」
苦しそうな息を吐きながら口にしたのは、
「殺す……お前を殺…す……」
貫かれたときに落とした剣を震える手で掴もうとした剣を美朱が剣を取り鬼宿に持たせる。
彼女の強さはどこからきたものなのだろうか。
始めてみたときはごく普通の少女だったというのに。
「だったら殺しなさい!
もう一度元気になって。そしたら望み通り殺して!
あたし…鬼宿にならかまわない……
だから、死なないで!
好きだよ鬼宿
ずっとずっと大好きだよ……」
巫女の口付け。
震える手で彼女を殺そうと振り上げた剣は、
カラリと音を立てて地に落ちた。
「…なんだ…泣いてんのか…ごめん0時に…って約束…したのに遅れちまった」
「…ううん。大…丈夫…今…0時になったとこだ…から」
ふぅ、と小さく井宿は満点の星を見上げながら息を吐いた。
まるで昨日までの雨がうそのようだ。
祝い酒と称された小さな宴から抜け出したのは、少し前のこと。
回ったお酒を覚ますため、というのは事実だがほとんどが口実だった。
朱雀召喚を目前に控えたこの時期、気を抜いてはいけないという思いもあったが、なによりも少し1人になりたかった。
七星士としての任務よりも自分のことを優先してしまうが、ほんの少しだけ。
ここ数日いろいろなことがあった。
でも、よかった。本当によかった。
また、同じことの繰り返しだと思った。
怒りと憎しみと悲しみ、そして愛しさ。
昔の自分たちの通った道を繰り返さなくて本当によかった。
残された青龍の巫女は気になるが朱雀を呼び出せば、きっと。
話し合うことさえできればきっと彼女たちは親友に戻れるから。
だからもうきっと大丈夫。
雨はいつも、大切なものをすべて流していくのだと思った。
けれど、信じてることができれば、大切な人たちがいれば、愛してくれる人がいれば、掴み取ることができるんだと気づいた。
自分よりも一回り近くも年下の少女に教わるとは。あの時と少しも成長していないなと苦笑する。
そして本当に強い少女だ。
過去を振りかえって後悔することはもうしたくない。
そのために力をつけたのだ。
能力も、そしてそれを扱う心も。
もうすぐ朱雀召喚の儀式。
何が起こるかわからないが、使命をまっとうするだけだ。
そして大切な仲間たちが幸せになるように。
「井宿さん」
「張宿どうしたのだ?」
「いえ、星宿様も軫宿さんも部屋へ戻られたので僕もそろそろと思ったら井宿さんを見かけたので、少しお話したいなと思って」
少し照れくさそうに笑う張宿を見て思う。
「そういえば、張宿とまだちゃんと話していないのだ」
自ら言い出したこととはいえ留守番組だった井宿は仲間たちと交流が少ないのだ。
とはいえ、どちらも自ら話すタイプではなく聞き役。
自然と沈黙が流れる。
しかしその沈黙は重いものではない。
自然の声を聞きながらゆっくりと時は流れる。
「それにしても、美朱も翼宿も星宿様もみんな無茶しすぎなのだ〜」
沈黙を破ったのは井宿のおどけた声。
「無事だったからよかったものの、見ているこっちはヒヤヒヤなのだぁ」
その言葉に張宿は苦笑する。
「その中に井宿さんは含まれないんですか?」
「だ?」
「翼宿さんに聞きましたよ?捕まった美朱さんを城内を心宿に変身して探したとか・・・」
「翼宿のことだからきっと「井宿のやつ俺を柱にグルグルに縛りよった」とか騒いでいるのだ?」
「あ。分かりました?」
「翼宿は分かりやすいのだぁ」
「鬼宿さんのことの次くらいに騒いでましたよ」
子供なのだと呆れたように呟く井宿にどちらからともなく笑いあう。
「でも、ほんとにみんな無事でよかったのだ」
不意にお面の上からでも分かる真剣な目を見て思わず息をのむ。
張宿が始めてみた井宿は猛ダッシュで走ってきた星宿が三頭身の井宿に姿を変えたものだった。
第一印象からしてあれだったのだから、井宿という人物を知る前によく分からない、不思議な人だというイメージを持った。
短い付き合いだが、言動からしても行動からしても第一印象は今もまったく変わらないのだが、何故か自分が思っているよりもずっと大人なんだと思った。
深い悲しみを知った目。そんな感じがした。
みんな何かを持っているんだ。
どんなに嫌でも、それぞれの使命を持っている。
「みんなが・・・幸せになるといいですね」
幸せになる。
そのためにも自分はここにいる。
「出来る限りのことをするのだ。そうしたらきっと何かが変わるのだ」
大丈夫だよ、とそう言われたような気がした。
「不安は誰にもあるのだ・・・・・・それにしても、そろそろ止めたほうがよさそうなのだ」
「え?」
井宿の視線の先には翼宿や柳宿たちと先ほどまでいた部屋。
ちょっとした祝い酒とは言いがたい笑い声が聞こえる。
間違いなくお酒が随分入っている。
「いい加減止めないと翼宿は体に障るし、みんなも儀式の準備があるのだ」
「ですね」
思わず小さく笑ってしまった。
一体どこからまでが真剣なのかどのあたりがふざけているのか分からない、読めない人だなと思う。
「張宿も早く休むのだ」
「はい、ではお先に失礼します。井宿さん」
「お休みなのだ」
部屋に帰る張宿に見送って、ため息をついてから扉に手をかける。
まったく。1人でゆっくり時間もないのだ。
「祝い酒もいいのだが、いい加減お開きにするのだ」
すると一斉にブーイングが起きる。
「え〜」
「もう少し、ええやないか」
「ケガを治すにはゆっくり休むことが大事なのだ!深酒なんてとんでもないのだ!」
「私はケガしてないし、大丈夫よ」
「あ!柳宿お前っ!!」
1人逃げよったなと柳宿を睨むが、
「柳宿も!明日からみんな儀式の準備で大変なのだ。遅くまで騒いでいてはみんなの迷惑になるのだ」
ケケケと意地悪く笑う翼宿は柳宿に殴り飛ばされる。
そんな様子を侍女たちは困ったように見守っている。
「あの・・・出来れば宮殿内も明日から忙しくなりますので、そろそろ・・・」
言いにくそうにしどろもどろ言う侍女たち。
結構我慢していたのだろう。当然だ、日がそろそろ変わろうとしているのだから。
「分かったわ。ごめんなさいね、みんな」
「ちぇ」
「お酒はまた今度ゆっくりと時間を考えてしたらいいのだ」
時には羽目を外すことも大事だ。
今度は朱雀召喚の祝いに、全員でお酒を飲もう。
笛が聞こえる。
暖かく安心できる音色、でもどこか寂しい。
張宿の本当の「不安」の意味を知るのはもう少し後のこと。
考えれば井宿は美朱と唯、鬼宿の関係を知っているし(そういや、大抵その場面いましたね!)
何故自殺しようとしたかというのは一番理解してるんですよね。
そして恐らくその気持ちも。
書いてて思ったのは、井宿にとったら「七星士」というのは任務なんですよね。
仕方ないな守ってやるか!てな鬼宿たちとは違うんですよね。
そのため「だけ」にとまでは言い切れないかもしれないけど、このために力をつけたんだから考え方は違いますよね。
2008.10.01