僧正はそう言った。
こんな状態なのだから当然だろう。芳准と力なく思った。
そして先ほど口論になったあの娘もまた天涯孤独だという。だが彼女は直接的にはこの洪水被害者ではない。
13年ほど前家が火事で天涯孤独となり寺院に引き取られ15の年を迎えるまでここで暮らしたのだという。
愕然とした。
『天涯孤独になったのはあなただけではないのよ』
そう言った彼女。
二十歳前後の彼女の13年前、つまりまだ大人に甘えたい年の子供が家族の死に別れたのだ。
そのときの絶望はどんなものだったのだろう。
自分の味わった絶望とは違う。だがそれと比較することはできるだろうか?
能力を持ちながらも使うことが出来ずに助けることが出来なかった自分と幼くて何も出来なかった彼女と同じではないか。
むしろ自分のほうが・・・あのとき心を乱してなかったら保身だけではなく1人でも助けることができたのではないだろうか?
『あなた1人が辛い思いをしているわけじゃないのよ』
そう言った彼女はどんな思いだったのだろう。
どうしようもない無力を味わって、幼い娘は大切な家族と同時に生きる術を失ったのだ。
ほんの少し目を開いてみると今まで見えなかったものも見ることが出来た。
自分の姿を見るなり心配そうに声をかけてくれる僧がいた。
そして苦しんでいる人もいた。鎮痛剤など気休め程度にしか効かずずっと痛みと戦っているという。
そんな彼らを献身的に介護する僧、そして洪水を聞きつけて近隣から手伝いに来た人たち。
ここにいる人全てが自分と同じようにおそらく家族生まれ故郷、そして大切な人を失ったのだろう。生存者はきわめて少ないのだから。
1人ではない。
こうして誰もが身も心も傷ついているんだ。
突然恥ずかしくなった。
自分ばかり悲劇の物語の主人公を演じて。
包帯で巻いた左目にそっと手を置く。
瞬間感じた痛みに眉をひそめる。
俺は生きている。
有無を言わさず生き残らされたことにどれほどの意味があるのかは分からないが生きている。
ならば今出来ることをしよう。それしかないのだから。
とは思ったもののどうしたものかと寺院の中をフラフラとしているのが現状だ。
今自分には何が出来る?
「佳央ちょっとこっち来てくれ!」
踏みだそうとしても何も出来なければ同じ事。1人の僧へ声をかけようとしたとき声がした。
「はーい!今行きます!」
その声にビクリと体が揺れる。
彼女だ。
その声に答えようとこちらへ向かってる姿が視界に入った。
「・・・っ!」
横を通り過ぎようとしたとき声をかけようとして、出なかった。
そんな芳准に気づいたようで目の前で足を止める。
だが気まずい沈黙が流れる。
頭が真っ白になる。だが逃避する頭に鞭打って現状を思い出す。
『何不自由なく暮らすあんたに何が分かる!助けられたかも知れない誰よりも大切な人たちを失ったんだ!』
『それなのに俺だけが・・・1人生き残った俺の気持ちあんたに分かるわけがない!』
それが自分が彼女に言った言葉。
今思うと彼女になんてことを言ったんだ。
俺だけではない。こんな想いをしているのは。
「僧正様から聞いた」
しばらく思案して出た言葉がこれだった。
「昔ここで暮らしていたこと」
「そう」
「何も知らなかったとはいえ酷いことを言った。すまなかった」
深く頭を下げる。
沈黙が、時間にすればそれほど長くないんだろうが長く感じる。
「いえ、気持ちは分かるから」
凛とした声。だがどこか少し泣き出しそうな、そんな表情。
「私も、あなたのように何度も自分を攻めたわ。何故1人生き残ってしまったのか、何故気づかなかったのかって。そんな時僧正様が手を差しのばしてくれたわ」
昔、祖父の葬式の時に自分とさほど変わらない少女が寺院にいたのは覚えている。
あのときは何故ここにいるのだろうとしか思わなかった。そんな事情があるだなんて考えようともしなかった。
祖父は亡くなったけれど家族もいた親友もいた、大好きな人たちに囲まれていた。幸せを感受していたあのころの自分には想像も付かなかっただろう。
今、俺が生き残った理由は分かりきっている。だからこそ割り切れないのだ。
そのために、そのためだけに。
能力があるなら、いつ訪れるか分からない、ただの伝説かもしれない巫女よりも、護りたい人たちがいた。
「私の家はお米と野菜を作って暮らしていたの。裕福ではなかったけれど優しい父と母はいつも一緒で幸せだったわ」
「・・・米?」
「でもあのとき火事にならなければ今私はここにいなかったでしょうね」
突然の話題変更に疑問を抱くがすぐに合点がいった。
米を作るに必要なものは水だ。自ずと家がどういう場所にあったのかが分かる。
「運命だと割り切ることは出来ないけど、天へは行けない理由、やるべきことがあるのかもしれない。と思うようになったわ。それが何かは分からないけどね」
そう苦笑する。
「私も乗り越えられているわけではない。でも前を向いているつもり。私を助けてくれた母が安心して逝けるように私は生きるわ」
強いな。
彼女がここまで強いのは彼女自身前を向いて生きるように努力しているからだ。
俺にも出来るだろうか・・・
父は最期、俺の幸せを祈っていると言った。優しく厳しい父が今の俺を見たらどう思うだろう。
安心して逝けるだろうか。
否だ。父だけでなく母も妹も、彼女も。
今すぐは無理でもみんなが安心できるように努力するべきだ。
だから、
「僧正様に手伝いを頼まれた。俺に出来ることはないだろうか」
そういうと彼女は優しく微笑んだ。