彼女は近隣の村からやってきた支援者の1人で主に軽傷者の看護や身の回りの世話をしている。
「こらこら寺院では静かにするものじゃよ」
「あ…すみません僧正様」
今気づいたその様子に小さく眉がハの字に動く。
「珍しいのぉ。物静かなおぬしがそのように荒げるとは」
「その。つもりはなかったのですが…」
「皆の様子はどうじゃ?」
瞬間表情が曇る。
「1人、気になる人が…」
彼女の持つ手つかずの膳に視線を落とす。
「隻眼のあの青年のことじゃな?」
小さく頷く。
「食事どころか会話すらまともにしてくれないんです」
「思うところもあるじゃろう。ここにいるものすべてが多かれ少なかれ抱えておる。・・・・・・・・・・じゃがこれほどの被害を起こした昇龍も以前と変わらぬ穏やかさを取り戻しつつある。人の心も、同じじゃよ」
「…はい」
お辞儀をして青年の元へ行く彼女を見送る。
かつての姿を取り戻しつつあるある昇龍も昇龍自身の力だけではない。
牙をむいた昇龍に無惨に解体された家屋は昇龍に飲まれ流れた。かつて家屋だった木々も留まるところを見つけ川の一部となる。その一部が水の流れを少しづつ穏やかにしていったのだ。
人間も同じだ。小さくとも人の人との繋がりによって穏やかさを取り戻す。だから人は1人では生きていけないのだ。
「もう、俺にはかまわないでくれ!」
何度となく交わされた言葉にげんなりする。
いや言葉が返ってくるだけで随分マシなのである。
だんまりを決め込んだよりは良くも悪くも彼の心の鍵の一部と取り外したのだから。
「そうはいきません。一昨日からロクに食べてないじゃないですか!」
その食事すら半ば無理矢理にしかも僅かに食べただけだ。
「傷の具合はお医者様に太鼓判押されましたがそれは十分な栄養をとることが前提です。このままでは治る物も治りません!」
「かまわない。これは本来ないはずの命だ」
珍しい。そう思った。
だんだんと話してはいるがこちらの話に乗ってきている。そう「内容はともかく」だが。
「ここには俺よりも傷を負って苦しんでいる人たちがいる。あんたの役はそういう人たちの介護だろう」
人への気遣いというよりも、やっかい払い。暗に「構うな」と言っている。
「確かに体の傷はあなたよりも苦しんでいる方たちがいます。しかしっ」
そこまで言って言葉を失う。誰よりも苦しんでいるであろう人にそれを指摘してどうする。
「だったら俺になんか構う必要はない」
「そういう訳にはいきません」
「俺には生きる意味などない」
「人は・・・人には、何か役目を持って生まれてきます。だから!」
失っていい命なんてありません。そう言おうとしたが言葉が出なかった。
殺意すら感じる視線を感じたから。
な、に・・・
ゾクリとどこかで音が聞こえる。
今まで感じたことのない威圧感に後ずさりする。
「あんたに、俺の、何が分かる・・・」
それは自分に向けられていて。
ついさっきまで言葉を交わすどころか今にも命そのものを捨ててしまいそうだった人が感情すべてをこちらに向けている。
絶望し、どこまでも自分を追いつめ自分を押し殺そうとしてきたこの人が。
「何不自由なく暮らすあんたに何が分かる!助けられたかも知れない誰よりも大切な人たちを失ったんだ!」
な、に言って・・・助けられたかも・・・
「それなのに俺だけが・・・1人生き残った俺の気持ちあんたに分かるわけがない!」
1人、生き残った・・・
でも
「あなた1人が辛い思いしているわけじゃないのよ。天涯孤独になったのもあなた1人じゃないのよ!」
「俺には助けれたんだ。助けられたんだ。それなのに!」
ずっと行き場を失っていた感情があふれ出す。
「そんなのあなたの勝手な自己満足よ!生きてるんだから、生きてるんだから!前を向きなさいよ!!!」
いつのまにか流れた涙を拭うと、
「ごめんなさい」
それだけ言い、逃げるように部屋を出た。
涙を流し「前を向け」と言った。
意味が分からない。いや「前を向け」という言葉の意味は分かる。ただ理解ができない。
あれが自然災害だということも頭では理解できる。
だが、親友を恋人を一族を死へ追いやったのは自分だと言っても過言ではないと彼は思っている。
知らずに授けられた力とはいえ、生を受けて18年の間何故気づかなかったのか。流木で失った左目以外目立った外傷はない。あれだけの、村1つすべてを飲み込んだ洪水から自身を守った。
そんな能力(ちから)があったのなら何故!
そう思えば思うほど自分を悔しくて悔しくて何より自分が情けなくて自分を消してしまいたくなる。
役目。
この能力(ちから)の意味。あのとき見た右膝の証と幼い頃父に聞いた伝説を考えれば一目瞭然。
そんなこと、出来るはずもない。
大切な人1人護れない自分が、いつか現れる巫女をそしてこの紅南国を守るのだと。
「李芳准じゃったかな?」
自分の名前を告げる声に思わず隻眼の男、芳准は顔を上げる。
声の主は貫禄のある初老の男で、身の回りの世話をしている僧侶たちとは違う法衣にこの寺院で位の高い人物だと分かる。
「何故名前を・・・」
怪訝に眉をひそめる芳准に男は声を上げて笑った。
「わしはこの寺の僧正の緘邑と申す。この近隣の村の人間はよく知っておる」
そういい目を伏せる。
「お前の祖父の葬式の経もあげたこともある」
その言葉にあっと思う。
10年ほど前、葬式で祖父を亡くした悲しみに泣きじゃくっている自分の頭を撫でてくれたあのときの暖かい笑顔の人物と目の前の人物がかぶって見える。
「その節は、お世話になりました」
そしてそのときの自分の情けなさに思わず目をそらす。
祖父の冥福を願う神妙な場で必死に涙をこらえ長男の息子として席に座り、それでも堪えきれなくて鼻をすする音で嗚咽を隠していた。
そのとき人は何故生きているのか、何故死ぬのかを優しく教えてくれた。
「今度はこの洪水で亡くなった者皆の式をあげねばならぬのう」
これまでにいったいどれだけの人が亡くなったのだろう。そしてどれだけの人が生きているのだろう。
流された遺体もあるし分別できぬほど傷ついていた遺体もある。もう正確には把握できない。
腐敗しないようにと身元もしっかりと確認出来ぬまま火葬している。
生きているのか死んでいるのか。
出会えぬのならば死んでいるのだろう。そう生き残ったものたちは諦めるようになってきた。
「盛大な式は出来ぬが、亡くなった者の魂が天へとたどりつくように生き残った者たちで祈ろう」
「・・・はい」
「そこでちと頼みがあるんじゃが」